Love Japanese taste−−−アンティークの食器
100年の月日とともに毎日暮らす幸せ

 何度となく、明らかに最近のものではない湯のみでお茶をいただく機会があった。
その、ポテっとしたなんともいえない厚みと口あたり、素朴な絵に心引かれ、突然、幸福感で一杯になったのである。
うわ!なんだ?このホコホコとした暖かい気持ちは?
食器で味わう初めての不思議な気分だった。

それから平和島の全国骨董市に通い始めて一年。
最初は1万円札1枚を財布に入れ、ひとつかふたつ買えたらいいかな、という気持ちで出掛けた。
 何万円もする古伊万里の蕎麦猪口など、とても手が出ないと思っていたら、なんと500円のお皿や700円の湯のみなど私の身の丈に合った、しかもステキな器が思いもかけず、たくさんあるのである。「昭和初期の印判だよ!」「明治の終わりものだよ!」「5枚買うと安くするよ!」「もう今日で終わりだからおまけしよう」などとお店の人とのかけあいも楽しい。

Photos by Kaoru
 デザインはもちろん、価格も大切な要素として考えながらあれこれ眺めてみる。
私が今集めているのは、明治〜昭和初期の印判染付と手書きの食器。
呉須(コバルト)の藍色の濃淡がなんとも魅力的なのだ。
そして私の狙っている層の食器は印判がずれてしまったり、すこしいびつなもの。
そのいびつさや失敗ぐあいが思わず笑いを誘って、暖かい気持ちになるのだ。
私はわざわざ失敗作を探して買い求めているのに気がついた。
なんだかその人間らしさを自分とダブらせているのかもしれない。
昔の人が作りながら「あっ、失敗しちゃったよ、こんなの売れないよ」と思っていたかもしれないのに、100年経って今、この私の手の中にある不思議さ。
今の日本だったら当然、不良品として扱われてしまうのに、いまだに残っている大らかさ。
英語で言う「No problem.(問題ないよ)」とか、タイ語の「マイペンライ!(気にしない)」のような心がまだ存在していた古き良き時代に思いを馳せるのである。

 でもたぶん、私はマニアにはならないと思う。「これは何年ごろの誰々の作で、骨董価値はどのくらいで…」ということよりも家まで連れて帰りたいかどうか、毎日眺めて豊かな気持ちになれるか、なのである。

息子にはこう言ってある。
「この食器は決して高いものではないし、形あるものだからいつかは壊れるからね。でも100年ぐらい前に作られたものなの。大切にしようね。ごちそうさまーと流しに投げないでね。」
彼は「うわ〜、100年も経っているんだ。」と少しビビりながら「すごいな!」と答えた。

毎日、食卓に並べる贅沢。
時には朝食のソーセージが乗っていたり、お菓子だったりまるっきりの普段使い。
でもなぜかいつもの我が家のメニューが一品増えたような気持ちになるから不思議。
| INDEX | HOME | Kaoru's Life with Fun